『タイムバインド』
晴れ。
車の黄砂汚れがひどい。来年度の卒論についての相談。歴史に興味があるようで、いくつか渡した本の中からロバート・ウェストールをやりたいとのこと。参考文献はほぼないと思うが、とりあえず原文を渡して読んでおいてもらうことにする。
「ワークシェアリング」、ゼロ会議、ゼロレポートの「ライブラリー・アワー」、部内独自の「タイムスケジュール」がタイムバインドを打ち破るために大事なんだということだが、それはまあそうなんだろう。ただ、結局、それこそホックシールド自身が度々言及する『フォーチュン』誌が選ぶトップ500社のうちの1社であるアメルコ社という大企業の話に過ぎなくて、言い換えると、もしかするとガラスの天井を打ち破ることのできるかもしれない、ある程度働き稼ぐ能力のある女性の話に過ぎなくて、むしろ重要なのは、そうではない女性たちの状況分析のほうなのではないかしら。
『ダウントン・アビー』
晴れ。
日中は職場で校正の続き。日が落ちたので帰宅。先日BBCラジオでヒュー・ボネヴィルが認知症の実父について語っているのを聞いたことで『ダウントン・アビー』を思い出し、研究費の消化でファイナルシーズンまで購入。確か交通事故か何かでマシューが亡くなったあたりまでは以前観たのだが、もう一度最初から観ることにする。
Disk1の3話分。長女メアリーの許嫁がタイタニック号の事故で亡くなったためグランサム伯爵の爵位と地所ダウントン・アビーの限嗣相続が問題として持ち上がり遠縁のマシュー・クローリーをメアリーの婿にすることで財産の散逸を防ごうとするところから、アッパーミドルクラスのマシューを好まないメアリーにヤキモキする伯爵たちが、ブランクサム子爵の息子やオスマン帝国の外交官ケマル・パムークら婿候補に一喜一憂するあたりまで。ケマルの意図は結局何だったんだろう。メアリーを手籠にすること?
『ジンセイハオンガクデアル』
曇り。
終日自宅。洗濯をし、ウタマロで床を拭き、先日の検査で太り気味と言われた黒猫のクロちゃんとネズミ玩具で遊び、スーパーへ買い出し。新物の秋刀魚は悲しいほど痩せていた。人事活性化と連携強化のために長男を首相秘書官に一本釣りって、親子の連携を強化するということだろうか。暗愚にもほどがある。
相変わらずロックな文章で一気に読ませる本書は2章構成で、1章は『子どもたちの階級闘争』の前日譚、2章がタイトルに関係する映画評、音楽評、書評になっている。
「男って生き物はさー、死ぬってことをやたら大変なことだと考えているのよね。だから死ぬ前にこれだけは成し遂げたい、とか、死後も何かを残したい、とか、いろいろ力んで考え込んじゃうの。死後に何かを残す、なんて、ねえ。アタシなんか絶対考えられない。生きてるってだけでこんなに恥ずかしいことなのに、死んでまで何を残そうっていうのかしら。自分がいなくなった後まで自分に関係する何かがこの世に残ると思ったらゾッとする。人間なんて、恥を晒して生き永らえて、死ぬ時が来たらきれいさっぱりいなくなりゃいいのよ。それだけのことなのよ」(40-41)
けだし名言だと思う。
『ストーナー』
晴れ。
書き物月間を乗り越えたので、積読解消に勤しむ。
教師とは、知の真実を伝える者であり、人間としての愚かさ、弱さ、無能さに関係なく、威厳を与えられる者のことだった。知の真実とは、語りえぬ知識ではなく、ひとたび手にすれば自分を変えてしまう知識、それゆえ誰もその存在を見誤る心配のない知識のことだった。(131)
今は研究の計画を立てる段階であり、この段階がいちばん楽しかった。何本もある探求の道筋を一本に絞り込み、いくつかの有望な戦略を切り捨て、未踏の可能性がはらむ謎や不確定要素を分析し、選択の結果を予測し・・・。(140)
その秋の授業日程は、ことのほかひどいものだった。学部一年の英作文四講座が、週六日の離ればなれの時間帯に配されていた。(・・・)新年度最初の授業の日、ストーナーは早朝の教官室で、きれいにタイプ打ちされた日程表をふたたび眺めた。(・・・)日程表を見て、鋭い怒りが込み上げる。前方の壁を数秒にらみ、授業日程にもう一度目をやってから、自分に向かってうなずいた。日程表をいっしょに来た講義概要もろともくずかごに投げ入れ、隅にある書類棚のところまで行く。最上段の抽斗をあけて、茶色の紙ばさみの束をぼんやり眺め、ひとつを引っ張り出した。はさまれた紙をぱらぱらめくり、そうしながら音の出ない口笛を吹く。それから、抽斗を閉め、紙ばさみを脇にはさむと、教官室を出て、最初の授業に向かった。(・・・)しばし呼吸を整えて、ストーナーは話し始めた。「すでにこの講座の指定図書を購入した諸君は、書店に買い戻してもらったほうがよいかもしれない。登録の際に全員に配ったシラバスは無視してくれ。今後も使う予定はない。この講座では課題に対して違う切り口を試みるつもりだから、別の指定図書二冊を購入してもらうことになるだろう」ストーナーは学生たちに背を向け、チョークを一本手に取って、しばし高く掲げたまま、席に座った学生たちの抑えたささやきや衣ずれの音から、いきなりこの授業の手順になじんできたことを耳で確かめた。「われわれの指定図書は(・・・)ルーミスとウィラード編『中世英文学の詩と散文』、そしてJ.M.H. アトキンズ著『英文学批判ー中世の位相』だ」受講生に向き直った。(・・・)「この講座の主目的は、ルーミスとウィラードのアンソロジーの中に見出せるだろう。われわれはまず、三通りの目標を掲げて、中世の詩と散文の実例を見ていく。最初に、それら自体を有意な文学作品として。第二に、英文学の伝統的な様式と方法の原初的例として。そして、第三に、今日にまで現実的な価値と応用の広がる話法問題の修辞的、文法的な解決策として」ほぼ全員が筆記を終え、顔を上げるころ、知的な笑みの一団はやや緊迫した面持ちになり、何人かがおずおずと手を挙げた。ストーナーはその中の、比較的はっきり挙手した眼鏡に黒っぽい髪の長身の青年を指名した。「先生、これは一般英語一の第四班の授業ですよね」(261-63)
『メッセージ』
晴れ。
風が強く肌寒い。授業2。
アマプラで『メッセージ』(2016)。おやゼレンスキー大統領がと思ったら、ジェレミー・レナーだった。未知の事象に直面した際、言語学者の有能さが際立つのはJ. P. ホーガン『星を継ぐもの』(1977)以降の系譜だろうが、映画のポイントはそうした学際的な胸熱の取り組みでも、いわんや他者としてのヘプタポッドとの邂逅でもなく、(ゆくゆくは全人類が?)ヘプタポッドの言語を習得することで未来が予知できるようになること、そして未来を予知できるということがヘプタポッドから人類への「贈り物」になっていることだと思う。ただこの「贈り物」というのが曲者で、ルイーズはイアンとの破局や、二人の間に生まれてくる娘が病に冒され亡くなる未来を知りながらイアンのプロポーズを受け入れるのだが、これだと贈り物の意味がよくわからない。このあたりの映画の矛盾にテッド・チャンの原作の方はもう少し理屈をつけていたと思うが、不幸な未来を現在の行動で避けられるのであれば贈り物なのだろうけど、どのような行動を取ったとしても避けられない不幸な未来であるならば贈り物の意味が曖昧になる。