シーズン2完

晴れ。

風の強い一日。そろそろ花粉のシーズン。シーズン2完。ウィリアムの死とマシューの負傷。第1次世界大戦の終結とベイツ夫人の死。まさかのマシューの快癒に伴い混沌とする結婚の行方と3女シビルと運転手ブランソンの駆け落ち、スペイン風邪によるラビニアの落命と殺人容疑でのベイツ逮捕とマシューとメアリーの婚約まで。映像でグレトナ・グリーンに言及しているのを観るのは初めてかも(他にもあったかも知れないけど、なにぶん記憶が曖昧で)。

業績の二重カウントとかアホなことを人事委員会が言い出さなければ紀要論文を新書にまとめるのは理想形の一つである。

玉ちゃんねる

雨。

午前中、家人と歩いて近所のパン屋まで。帰りしにスーパーにも立ち寄り、雨がパラパラ落ち始めたところでギリギリ帰宅。youtube玉袋筋太郎の「玉ちゃんねる」を聞いていたら、生前行きつけにしていた鶯谷信濃路で西村賢太を話題にしていた。もう1周忌か、早いものだ。未完の『雨滴は続く』はまだ読めていない。しかし「玉ちゃんねる」は滋味深くて良いチャンネルである。

ディーラー

晴れ。

洗車しようと近所のGSに寄ったが4、5台待ち。考えることは皆一緒である。午前中、ディーラーへ。今年度中のものは売り切れとのこと。来年度分の国の補助金がどうなるか不透明だし、見積もりだけもらって帰る。国、県の補助金を使えばなんとかなるだろうかという額。

ダウントン・アビー』シーズン2のdisk1。第1次世界大戦勃発、徴兵、戦時下における上流階級の役割、マシューとラビニアの婚約から、従軍する下僕のウィリアムとデイジーの偽りの婚約まで。

 

『タイムバインド』

晴れ。

車の黄砂汚れがひどい。来年度の卒論についての相談。歴史に興味があるようで、いくつか渡した本の中からロバート・ウェストールをやりたいとのこと。参考文献はほぼないと思うが、とりあえず原文を渡して読んでおいてもらうことにする。

ワークシェアリング」、ゼロ会議、ゼロレポートの「ライブラリー・アワー」、部内独自の「タイムスケジュール」がタイムバインドを打ち破るために大事なんだということだが、それはまあそうなんだろう。ただ、結局、それこそホックシールド自身が度々言及する『フォーチュン』誌が選ぶトップ500社のうちの1社であるアメルコ社という大企業の話に過ぎなくて、言い換えると、もしかするとガラスの天井を打ち破ることのできるかもしれない、ある程度働き稼ぐ能力のある女性の話に過ぎなくて、むしろ重要なのは、そうではない女性たちの状況分析のほうなのではないかしら。

シーズン1完

晴れ。

肌寒い。夕方から歯医者。抗炎症の薬を塗っておきますねって、以前から塗ってくれていれば良いのになんで今更なんだろう。繁盛しているんだろうけど、イマイチ信用できない。

ダウントン・アビー』シーズン1のdisk2と3を。マシューがメアリーに求婚するまでと、グランサム伯爵夫人ご懐妊から待望の男児流産、マシュー/メアリーの破談、ドイツへの宣戦布告までの怒涛の展開。

『ダウントン・アビー』

晴れ。

日中は職場で校正の続き。日が落ちたので帰宅。先日BBCラジオでヒュー・ボネヴィルが認知症の実父について語っているのを聞いたことで『ダウントン・アビー』を思い出し、研究費の消化でファイナルシーズンまで購入。確か交通事故か何かでマシューが亡くなったあたりまでは以前観たのだが、もう一度最初から観ることにする。

Disk1の3話分。長女メアリーの許嫁がタイタニック号の事故で亡くなったためグランサム伯爵の爵位と地所ダウントン・アビーの限嗣相続が問題として持ち上がり遠縁のマシュー・クローリーをメアリーの婿にすることで財産の散逸を防ごうとするところから、アッパーミドルクラスのマシューを好まないメアリーにヤキモキする伯爵たちが、ブランクサム子爵の息子やオスマン帝国の外交官ケマル・パムークら婿候補に一喜一憂するあたりまで。ケマルの意図は結局何だったんだろう。メアリーを手籠にすること?

整形外科

晴れ。

初診の整形外科で診察まで3時間強待たされた。午後ヨレヨレになって帰宅し、たまった洗濯物を洗濯機に放り込み、回している間少し横になろうと思ったのがダメだった。陽も西に傾きつつあるなか洗濯物を干す。もとより生産性は低いのだが、際立って生産性のない一日。

長い待ち時間のお供はipadで『国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源』。

まだ上の4章だが、結局、包括的制度か収奪的制度かの違いで衰退するかどうかが決まるってことで良いんだろうか。この調子だと下も違う事例で同じ結論を述べるんだろうけど、あとはつまみ読みで良い気がする。

 

歯医者

晴れ。

午前中に入試問題のチェック。再試験用問題だが、共テを見る限り今年は申請がありそうな予感。

卒論を1つ読み終えて、夕方、歯医者。例えば上の歯を全部失ったとして、インプラントを最低何本埋めればいいんだろう。インプラントのブリッジってあるのかしら。奥歯のほうなんか特に見えないし、4両編成の電車みたいにならないものだろうか。と、くだらないことを考えながら、クリーニングの痛みに耐える。

懐メロ

晴れ。

授業2。あと少し。最近チャック全開のことが多いので気をつけるべし。研究室のBose Homespeaker500にはおおむね満足しているのだが、プレイリストの仕様がどうにも使いづらい。並べ替えがしたいし、アーティストごとにまとめたいのだがどうにもならん。大槻ケンヂ小島麻由美をエンドレスで流しながら翻訳の校正。

お歳暮

晴れ。

授業1と終わりなき卒論の添削。

家人の実家にお歳暮を贈る。催事場で買えば良いのだろうがどうにも面倒なので、熨斗のサービスのあるヨドバシカメラのネット通販を利用。表書きに義父の名を印字してもらうのだが、「様」は向こうがつけてくれるのだろうか?お中元でも同じことを悩んだが、結局、「様」をつけずに注文した。表書きが呼び捨てだったかどうかは恐ろしくて確認していない。

『シン・ウルトラマン』

曇り時々雨。

今にも雪が舞いそうな寒い一日。朝方送られてきた卒論の添削を一つ返す。この学生の論文はこれで大方終了。お疲れさまでした。

いろいろやることはあるのだが、アマプラで『シン・ウルトラマン』(2022)を観る。長沢まさみを愛でる映画だということはわかったが、思っていたゼットンとずいぶん違う。

『ジンセイハオンガクデアル』

曇り。

終日自宅。洗濯をし、ウタマロで床を拭き、先日の検査で太り気味と言われた黒猫のクロちゃんとネズミ玩具で遊び、スーパーへ買い出し。新物の秋刀魚は悲しいほど痩せていた。人事活性化と連携強化のために長男を首相秘書官に一本釣りって、親子の連携を強化するということだろうか。暗愚にもほどがある。 

相変わらずロックな文章で一気に読ませる本書は2章構成で、1章は『子どもたちの階級闘争』の前日譚、2章がタイトルに関係する映画評、音楽評、書評になっている。

「男って生き物はさー、死ぬってことをやたら大変なことだと考えているのよね。だから死ぬ前にこれだけは成し遂げたい、とか、死後も何かを残したい、とか、いろいろ力んで考え込んじゃうの。死後に何かを残す、なんて、ねえ。アタシなんか絶対考えられない。生きてるってだけでこんなに恥ずかしいことなのに、死んでまで何を残そうっていうのかしら。自分がいなくなった後まで自分に関係する何かがこの世に残ると思ったらゾッとする。人間なんて、恥を晒して生き永らえて、死ぬ時が来たらきれいさっぱりいなくなりゃいいのよ。それだけのことなのよ」(40-41)

けだし名言だと思う。

『ストーナー』

晴れ。

書き物月間を乗り越えたので、積読解消に勤しむ。

教師とは、知の真実を伝える者であり、人間としての愚かさ、弱さ、無能さに関係なく、威厳を与えられる者のことだった。知の真実とは、語りえぬ知識ではなく、ひとたび手にすれば自分を変えてしまう知識、それゆえ誰もその存在を見誤る心配のない知識のことだった。(131)

今は研究の計画を立てる段階であり、この段階がいちばん楽しかった。何本もある探求の道筋を一本に絞り込み、いくつかの有望な戦略を切り捨て、未踏の可能性がはらむ謎や不確定要素を分析し、選択の結果を予測し・・・。(140)

その秋の授業日程は、ことのほかひどいものだった。学部一年の英作文四講座が、週六日の離ればなれの時間帯に配されていた。(・・・)新年度最初の授業の日、ストーナーは早朝の教官室で、きれいにタイプ打ちされた日程表をふたたび眺めた。(・・・)日程表を見て、鋭い怒りが込み上げる。前方の壁を数秒にらみ、授業日程にもう一度目をやってから、自分に向かってうなずいた。日程表をいっしょに来た講義概要もろともくずかごに投げ入れ、隅にある書類棚のところまで行く。最上段の抽斗をあけて、茶色の紙ばさみの束をぼんやり眺め、ひとつを引っ張り出した。はさまれた紙をぱらぱらめくり、そうしながら音の出ない口笛を吹く。それから、抽斗を閉め、紙ばさみを脇にはさむと、教官室を出て、最初の授業に向かった。(・・・)しばし呼吸を整えて、ストーナーは話し始めた。「すでにこの講座の指定図書を購入した諸君は、書店に買い戻してもらったほうがよいかもしれない。登録の際に全員に配ったシラバスは無視してくれ。今後も使う予定はない。この講座では課題に対して違う切り口を試みるつもりだから、別の指定図書二冊を購入してもらうことになるだろう」ストーナーは学生たちに背を向け、チョークを一本手に取って、しばし高く掲げたまま、席に座った学生たちの抑えたささやきや衣ずれの音から、いきなりこの授業の手順になじんできたことを耳で確かめた。「われわれの指定図書は(・・・)ルーミスとウィラード編『中世英文学の詩と散文』、そしてJ.M.H. アトキンズ著『英文学批判ー中世の位相』だ」受講生に向き直った。(・・・)「この講座の主目的は、ルーミスとウィラードのアンソロジーの中に見出せるだろう。われわれはまず、三通りの目標を掲げて、中世の詩と散文の実例を見ていく。最初に、それら自体を有意な文学作品として。第二に、英文学の伝統的な様式と方法の原初的例として。そして、第三に、今日にまで現実的な価値と応用の広がる話法問題の修辞的、文法的な解決策として」ほぼ全員が筆記を終え、顔を上げるころ、知的な笑みの一団はやや緊迫した面持ちになり、何人かがおずおずと手を挙げた。ストーナーはその中の、比較的はっきり挙手した眼鏡に黒っぽい髪の長身の青年を指名した。「先生、これは一般英語一の第四班の授業ですよね」(261-63)

『メッセージ』

晴れ。

風が強く肌寒い。授業2。

アマプラで『メッセージ』(2016)。おやゼレンスキー大統領がと思ったら、ジェレミー・レナーだった。未知の事象に直面した際、言語学者の有能さが際立つのはJ. P. ホーガン『星を継ぐもの』(1977)以降の系譜だろうが、映画のポイントはそうした学際的な胸熱の取り組みでも、いわんや他者としてのヘプタポッドとの邂逅でもなく、(ゆくゆくは全人類が?)ヘプタポッドの言語を習得することで未来が予知できるようになること、そして未来を予知できるということがヘプタポッドから人類への「贈り物」になっていることだと思う。ただこの「贈り物」というのが曲者で、ルイーズはイアンとの破局や、二人の間に生まれてくる娘が病に冒され亡くなる未来を知りながらイアンのプロポーズを受け入れるのだが、これだと贈り物の意味がよくわからない。このあたりの映画の矛盾にテッド・チャンの原作の方はもう少し理屈をつけていたと思うが、不幸な未来を現在の行動で避けられるのであれば贈り物なのだろうけど、どのような行動を取ったとしても避けられない不幸な未来であるならば贈り物の意味が曖昧になる。

『博士と狂人』

雨。

アマプラで『博士と狂人』(2019)。サイモン・ウィンチェスター本の映画化。

 
マイナーの罪と罰、マレーとマイナーの交流、大英帝国の一事業としての辞書制作、オックスフォード大学出版局内部の政治性など色々盛り込みすぎの映画という点で、もちろんOED成立過程に興味のある向きにも、19世紀イギリスの癲狂院というかmadhouseでの治療に興味のある向きにも、あるいは加害者と被害者のラブロマンスに興味のある向きにもおすすめ。